天上天下ぼっち上等だけど最近なんか違う無職の話
ぼっち上等な明るい無職です。
他人と関わると、とにかく気を使うので疲れきります。
刺激はあるので楽しいのですが、それでも疲労と比較すると1人が好きなのです。
そんな明るい無職ですが、最近は知らない人とばかり会っています。
疲れます、疲れるのですが、色々思うところがあったのでつらつらと書いてみました。
「人と出会うと知らない世界に色が着く」
農業を目指しているので、出会う人はだいたいが農業関係者です。
有機多品目、慣行少数品目、果樹栽培、エトセトラ
そんな人達と何かをする度に、何気なく買っていた野菜や果物の見方が変わってきました。
何処で作った野菜か、何なら誰が作ってるのか、買った時に誰の元に利益が行くのか。
そんなことを考えながら買い物をすると、今までただお金を払ってのっぺらぼうな生産者と商売人に払っていたお金も、自分で選んで買っているという選択の結果が生まれます。
これがまだ楽しい。
最安値でも海外産を買うのに抵抗ができました。
地産地消コーナーにも目がいくようになり、あまり知らなかった野菜なんかも買ってみるようにもなりましたね。
お金を払う
物を買う
というシンプルな構造が今の社会ですが、その奥にある人の営みが買い物に楽しさを産む訳ですね。
面倒だと切り捨てられた部分ですが、一周まわってそこに帰って来るのが皮肉というかなんと言うか。
とはいえ、面倒だと思う部分もやはりありますが。
生産者の事が分かってもいいし、分からなくても生きていける、という選択が出来るのは今の社会の良いところだと思います。
「原点回帰ではない」
一周まわって、と書きましたが、完全に原点に戻った訳でも無いと思います。
人との繋がりの意味が大きい社会、というものになってきた部分はありますが、だからといってかつての閉鎖的な村社会に戻ると言うことでも無く。
村という手の届く範囲の人間の繋がりがある生活圏+現代社会のプライバシーを守る作りが最高なのです!
隣で畑をやっている若者は夜はYouTubeでゲーム実況をしていたり。
17時に閉める雑貨屋をやってるお爺さんが、ネットショップもやってたり。
畑仕事を手伝ってくれるお兄ちゃんはシェアハウスの住民でブロガーだったり。
半農X最高みたいになっちゃいましたが、別に半農X推しでも無いんですけどね。
「田舎には孤独を埋めるキャパがある」
明るい無職は最近、とにかく猟友会の人達にお世話になっています。
ちなみに今季の猟はやってないので、こちらからは何もメリットを与えておりません。
先日、農家さんの手伝いの話をした時です。
猟友会のオッチャンは言ってました。
「止めてぇけど止められない農家がいっぱいいるんだ。明るい無職君とは縁もできたし、この人のとこで頑張ってみーや。ただ紹介した以上、適当するとお互い悪い評判つくからな、頼むぞ」
実はこの方、猟友会の温泉旅行で会ったヤクザ風だったオッチャンです。
まさかのお方から声がかかりました。
田舎の人も、都会の人も実は同じ。
出会う場と環境が無く、会話する機会が無いから繋がれないだけなんじゃないでしょうか。
その場さえあって、会話さえ出来れば、人に優しくするキャパシティが田舎にはあるのです。
都会で「仕事ください」と言えば何かしら仕事はあるように、田舎で「農業したい」と言えば、何かしらはあるんですね。
逆に、都会で「農業したい」と言っても無理でしょうし、田舎で「仕事ください」と言ってもかなり限られるでしょうけど。
都会がー、田舎のがー、という人は、求めるものが何か噛み合ってないのかもしれませんね。
「さいごに」
人との繋がり、というのは昔は面倒なもので、頼ったら最後、年末年始の挨拶から行事冠婚葬祭とまぁ多岐にわたる謎の礼儀を持って関わらなければなりませんでした。
疎かにすれば一発アウト。
村八分確定のいじめ抜かれてスリーアウトチェンジです。
しかし、今の時代は一定の距離が保てます。
相手もこちらも正体不明なので、無理難題をお互い言えない距離が保てるのです。
農家さんだって分かっているのです。
子供も孫も継いでくれないからの現状だということを。
あとあと、都市部郊外の農地なら移住は1回置いといて通い農家という手もありますしね。
町内会とか面倒なことに巻き込まれないので安心安全です。
そんな訳で人間関係苦手な明るい無職ですが、今のところ距離感がとても上手くいっており、マイペースにやっております。
師匠候補の方が正式に師匠となってくれれば話は変わるかもですが。
明るい無職は農家になりたい、近日中に動きがあるのでお楽しみに!