無職の歴史
明るい無職は東北住まいなので実は東日本大震災もモロに食らった1人。とはいえ、家族は全員無事だったし、実家も亀裂やらなんやらはあったもののその程度だったので、当事者と言うのも気が引ける感じです。そんな無職から見た震災の記憶をちょっと書きました…
サラリーマン時代はBライフに憧れ、土地まで探していた明るい無職です。 土地も半ばゲットし、生えていた木も切り倒し、草刈りもし、しかし結局そこには住んでいません。 何故、明るい無職はBライファーにならなかった(なれなかった)のか、そんなお話です。
誤配した時の全く申し訳ない気持ちが沸いてこなさは異常。の発言で有名な明るい無職です。 今回は郵便局の配達員(非常勤、期間雇用社員)をトータル6年務めた明るい無職が郵便局について語りたいと思います。 自爆こそ我が誇り 責任をいかに負わぬかが有能な…
こんにちわ。 職歴が汚い明るい無職です。二十代で数社の退職歴があるわ、無職期間ちょいちょいあるわ、もうね、もうね 誇らしい!
実はそこそこ旅行に行っている明るい無職です。サラリーマン時代の話ですが、北海道や有名温泉地などにはちょこちょこ行っておりました。今回はそんな無職が皆様に旅行の楽しさを 教えるブログじゃねーぜ馬鹿がっ! 家最高って話をするんだよヒャッハー!
明るい無職が初めて社会人となったのは、特別養護老人ホームの介護員としてパートを始めた時です。 一年で正社員にする、との約束での勤務でした。 ま、一年後にはいないのですが。