明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

最近の虐待問題を見て無職が思うこと

こんにちわ!バツ無しの明るい無職です。
もちろん結婚歴も真っ白です!

 

( ;꒳​; )

 

虐待のニュースがちょいちょい目に止まるこの世の中。
虐待ばかりは360度見回しても仕方ない部分というのを見出すのが難しいですね。

虐待云々は重すぎるので置いておいて、社会構造の方を考えてみたいと思います。

 

 


「他人の目から隔離された生活空間」

 

虐待が蔓延る理由はこれだと思うのです。


外と隔離された空間の良いところはプライバシー確保されているところですが、その反面で怖いのはプライバシーが確保された空間にはストレスのはけ口が身近なところしか無いことです。

1番身近なのは自分ですが、その次に子供などの身内がランクインします。
この辺が現代社会のカオスなところです。

 

プライバシー社会の行き着く先とは、安定したプライベートな空間と、その裏に潜むストレスのはけ口を身内(自分)に求めるしかない社会なのではなかろうか。

 


「誰とも繋がれないロンリー人間」

 

プライバシーが確保された空間とは、多くの人は賃貸です。
賃貸は毎月〇万円というお金を払い、貸してもらいます。
また、その空間で生活する為にも毎月〇万円分の食費、光熱費、通信費などを支払い続けます。
ここまで0円の物は何もありません。全てマネーを払い、維持しています。

当然と言えば当然に見えますが、まずここの時点で異常ではないでしょうか。
どこにも自分自身が作り出す物がありません。


お金は自分で稼いでるよ!と言うのも間違いで、お金も勤務先から労働を売って貰っている物のひとつです。

果たしてそんな状況で、自分は自立して生きている!という実感を持って生きれる人がどれだけいるでしょう。

 

そんな労働を売って生き続け、全く自立している実感の湧かない人間、それが明るい無職だったのです。


結果どうなったかと言えば、誰とも本心から付き合うことも出来ず、プライバシー空間に引きこもった駄目人間が出来上がりました。

 


「生きていることが実感できない」

 

もうね、底辺を渡り歩いてると生きている事の実感なんて皆無なんですよ。
ひと月働いて得られる賃金は15〜18万程度。
休みは外で先輩に付き合ってギャンブルやお酒。
家では映画見たり漫画読んだり。翌日仕事だと嫌でゴロゴロして、でも出勤してみたらそう辛くもないから普通に働いて、途中ちょっと辛くても休みが待ってるから頑張れて。
そいでまた飲んだり遊んだり。

気がつけば三十路過ぎ。
得たものはちょっとの社会経験と雀の涙程の貯蓄。
生きるとは何ぞや、という答えは出ないままに無職になりました。

きっと人間、その途中で仕事で自信をつけたり、結婚して他人から必要とされ生きる意味を見出したりするのでしょう。
そのイベントが皆無だった明るい無職は、どうにもこうにも生きる意味というのを喪失しまくリングだったのです。

 


「楽しいことを一生懸命している時間が楽しいっていう事じゃない」

 

そんな生きる意味を見失い、フラフラしていた明るい無職。
とにかく楽しいことをすれば意義も見えるかもしれない!と、馬鹿みたいに楽しいと思われることをしてみました。
しかしまぁ楽しみきれないんですよね、これが。

 

しばらくすると、無理に楽しいことをする気にもならなくなりました。
それで庭いじりを始めたんです。
枝の選定をしたり、枯れ木をほじくり返して畑にしたり。
まぁそれの楽しいこと楽しいこと。
家庭菜園なんて初めてみましたが、これがまた面白い。

 

今なら分かるのですが、明るい無職の求めていた楽しさはリラックスした時間であって、楽しいことをして脳に刺激を与える時間では無かったんです。
もしかすると、今まで脳に負荷を与えすぎたからかもしれませんね。

 

それで今は農業を目指している訳ですが、結果オーライなことに満たされております。

今の明るい無職は誰も指示もしてくれませんし、未来を示してはくれません。

なので、農家になるための行動を全部自分で選択し進まなければならないのです。

それがまた楽しい。

 

ある意味、生まれて初めて自分で作った道となっています。 

 

 

「さいごに」

 

明るい無職もプライバシーはとても大切だと思っています。

ただ、プライバシーが孤独に繋がってしまっている現状は、問題がありますよね。

プライバシーを守りつつも、いざとなれば助けを求められる繋がりがあって、逃げ込むことも出来る。

そういう関係が、今は都会に求められているのではないでしょうか。

 

せっかく農家を目指すのなら、そういう部分に目を向けていきたいな、と思う明るい無職でした。