明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

無職になると時の流れすらも征服できてしまうのではないかという話

幼少の頃は、時間は有限で毎日が忙しく過ぎていった。

青年の頃は、時間は無限だと思えた。その無限が恐ろしく感じられたし、無限の可能性のようにも感じられた。

新社会人の頃は、1日は短いが1年は長く、とても不安だった。不安を払拭するには、金と娯楽が必要だった。

無職となった今なら分かる、時間は有限だが無限で、自由なのだ。

アカルイ・ムショク


「手洗いうがいが出来るようになったよ!」

突然のカミングアウトである。
明るい無職は手洗いうがいが嫌いだった。
歯磨きや、お風呂も好きではなかった。
その積み重ねが大切な時間を奪うと思っていたのだ。勿体なかったのだ!

ところがどっこい(古い)。
今、明るい無職はとてもその様々な時間が好きである。
手洗いは指の間、手首までする。
うがいはイソジンを使う。
歯磨きも日に2回したりする。

それは決して意義を見いだしたからでも、健康を不安に感じたからでもない。
あ、いえ、風邪ひいたのがきっかけですゴメンなさい。
もとい、時間を支配したからだ(キリっ

明るい無職は、無職になったことで時間という概念を己に取り込むことに成功したのだ。
時間の覇者、明るい無職の誕生である。


「勿体ない時間なんて無い」

ショートスリーパーになると一生で起きて使える時間が大幅に増える。
なんて話を、昔は大真面目に聞いて考えていたものだ。

今は
寝ていた方が楽しいし毎日楽しいに決まっとるやんけバーカバーカ\( ᐙ )/
である。
本質的なバカは無職の方なのだが触れないであげて欲しい。

手洗いうがいも同様なのだ。
明るい無職は手洗いうがいの時間が惜しかった。
何かその時間を有意義に使えると思っていたから。
無職になってよく分かる。
時間に有意義も無駄も無いのだ。
それを決めるのは本人の心であって、全体的に見れば等しく時間に意味は無い。

そう考えると、手洗いうがいはとても楽しい。
病魔から自分の身を守る時間である。
手は良い香りになるし、イソジンでのうがいは口臭も取り除く。
明るく美しい無職になるための時間なのだ。


「死は今のところ平等である」

生き急いだ人間も、3年寝太郎も今のところ等しく100年しないくらいで死が待っている。
思い出さなくなったら本当の死、とも言うが、死んだ本人からすれば関係なかろう。

織田信長を見て欲しい。
確かに彼は日本で有名だ。
がむしゃらにことを成した成果と言えるかもしれない。
しかし彼に待っていたのは、偉大な歴史的な人気と謎の女体化ラッシュだった。
織田信長と名のついた萌えキャラは両手では数えきれない程いる。

つまり、歴史に名を残そうが残すまいが望んだような扱いはされないのである。

そんな根掘り葉掘り晒されて女体化までされるよりも、もう凡人で良いじゃない、ねえ?


「時間の覇者たる風格」

世の中で人を苦しませるのは、時間が作り出しただと思う。
暇は脳へ刺激を送り潰すのが1番手っ取り早い。
ちなみに悲しいかな、その刺激は大体が依存性があったりする。

死ぬほどサラリーマンを辞めたいけど、辞めたら暇を潰せない、なら死ぬまで働く、が今の主流である。
ちなみにこれを繰り返すと、死ななくても精神的には死ぬ。精神が死ぬと周囲を気遣う余裕がなくなり攻撃的になる。

時間の覇者になると一味違う。
暇を潰すのが上手くなるのでは無い、脳に刺激を送る必要が無いことに気がつくのだ。
全くいらないと言うことでも無く、自分に制御可能な刺激の範囲が分かる感じだ。
資本主義において適度な刺激というのは往々に価値が低い。なので散財せずに楽しめるのが時間の覇者である。
ちなみに、一見するとつまらない人間にも見えるが個人的には逆だと思う。
過度な刺激を望むものは攻撃的な面もあり、刺々しい一面がある。また散財も激しい傾向があるので、散財によって入手した物の自慢などが主な会話である。
一方、時間の覇者は各々日常に面した何気ないことを好むので、その掘り下げがやたらと面白い。自分に関係ないことがほとんどない。
睡眠、ご飯、自然、読書など、誰もが手をだせるネタで楽しませてくれる。
まぁしかし、サラリーマンから見れば変人に当たるのだとも分かる。

以上で変人=面白い、の証明が完了である。


さいごに

今回の記事脱線しまくりィぃ!!
と我ながら思う無職なのですが、なんか言いたいことが詰まっているのでごめんなさい。

無職というのはこんなにも人生を楽しく歩めるのだ、という事が伝われば幸いな記事を書いてみました。
ちなみに最初は手洗いうがいが何故楽しくなったのか、だけを考えながら書いており、このオチはまったく想定していません。

いやぁ、まっことブログは楽しいぜよ!