ふと足を止めてみたらやる事は山積みだった
2年前、非農家でも農家になれるんじゃないか?と33歳にして農家を目指し出した無職。
去年は農業学校に通い、実践を経験しながら基礎を勉強。
一緒に通っていた面々は皆今年何かしらの形で就農を決意していたので、自分も農業法人や地域おこし協力隊で農業を学びながら就農する方向で考えておりました。
しかし!
やってきたコロナ禍!!
見学や研修を希望していた所は軒並み雲行きが怪しく!
そして決意!今年は動けん!!
数週間は絶望!
しかし見えくる希望!
なんや、やる事は山のようにあるやんけ!!
「やる事リスト」
もうね、言うてしまえば農業を本気で目指し出したのなんて学校に通ってからですよ。
つまり自分なんて1年しか就農の準備をしていないぺーぺーなんです。
知識は未熟だしね、計画書も出来てないしね、収納希望地も曖昧でね、お金だってそんなに用意できてない。
幸いというかコロナが問題視される最後の最後に立派な農業法人さんの代表の方と話す事が出来まして、どういう視野を持って農業を目指すか、なんて話が出来たのでそれを、まとめてみました。
・課題と目標の洗い出し
・経理の勉強(簿記の資格取得)
・就農計画書の作成
・資本金の用意と明細
・農地の視察
ざっとこんな感じでしょうか。
師匠を作るなら自分の課題と目標を洗い出して伝え、それがそこで実現可能かちゃんと相談して教えを乞うこと。
農業は栽培技術だけでなく経理も必要になる。簿記を理解しているのといないのでは就農後の苦労は大きく変わってくる。
計画書は強い説得力になる。夢のような内容でも、ただ農家になりたいと言う人より計画書を提示する人の方が信用できる。
資本金は言わずもがな新規就農にはとても大切。
農地はその土地ごとに様々な特徴がある。何故その土地で農業がしたいかを伝えられれば、貸す方も納得して貸すことができる。
などなど、本当に多くのやる事が。
( ˊᵕˋ ;)💦
「新規就農友達の手伝いは最高の経験」
不特定多数の集まる所や、馴染みのない場所(遠征)へ行くのはまだ避けるべきですが、とりあえず見知った友達で三密を避けられる環境なら良いだろうと学校の新規就農友達の所へ手伝いに行っておりました。
その学ぶ事の多いこと多いこと。
多すぎて今回はあまり触れませんが、とにかく新規就農は準備が大事という事を痛感しました。
何より行って助けになってるという実感があるので、とても楽しい。
その人と作業する事で、周囲の農業者さんや地主さんと顔見知りになれるのも何気にありがたいですね。
「仕方ないなら仕方ない中で」
そんな訳で、コロナ禍という空前絶後前代未聞の事態の中、無職と言えども計画は吹き飛び予想外の事態に見舞われ資金も減っていってますが、やる事はかなり山積みという事も判明しました。
無理してでも次のステップに移行する、という手も無くは無いですが、そもそも豆腐メンタル人間失格ロード爆走中な明るい無職としてはガツガツ行くより石橋叩いて渡るくらいが丁度良いでしょう。
そんな中でも農業のこと以外に、最近ではファミコンをゲットしたのでゲーム実況を試そうとしてみたり、家庭菜園を大満喫したり、料理に挑戦したりと何気に生活は充実しております。
スーパーひきこもりランドを作りたい、なんて言ってる人間なんですから周囲と比べても仕方ない仕方ない、などと思いながら今日ものらりくらりと生きておるのでした。
フリーターですか?いいえ、無職です
注、下書きに眠っていた記事なので明るい無職がアルバイトを始めた頃のお話です。
ついに無職界隈を裏切りアルバイトを始めた明るい無職。
毎日のように襲い来る無職ギルドの追っ手を返り討ちにする日々だったが、そんな時でも畑は優しく明るい無職を包み込んでくれた。
そんな無職が語る、34歳でアルバイトをするという現実。
赤裸々な内容に君は耐えられるか!
「やる気満々の無職」
ここに受かれば交通費が貰える!!
と意気揚々やる気満々で挑んだ面接。
土日祝入れます!時間も夜メインですが臨機応変に対応出来ます!体力には自信があります!
と、行った結果。
週六でぶち込まれたでござる。
_| ̄|○
おまwwww
週六wwwww
こ、交通費貰えるから!
と元気だったのも最初の3日くらい。
あとはバイト行きたくないモードに突入し学校の畑も少し休み布団に包まるという懐かしのストレスモードへ。
注、バイトで嫌なことがあった訳ではありません。明るい無職はコミュ障なので、人と接するとやたら疲れるのです。
「34歳フリーターに期待されること」
職場は主婦大半、学生が3割、無職のような中年フリーターが数名、というような割合のスーパーの品出し。
主婦層がメイン(パートさん)なのですか、そのサポートとして学生がいる感じです。しかし学生は週3程度であったり、テスト期間はいなかったりとムラがあります。
そこで中年フリーターです。
学生は学業がメインなので、アルバイト先で責任を追わせられません。
なので、中年フリーターになんぼか責任のあることをさせる、というのが求められることでした。
コラあかんで!
明るい無職もオッサンとはいえ、農家を目指す者。こんな所で責任おってる場合じゃないのです。
すっかり頭から抜け落ちていましたが、パートで回しているような職場は勤務日数こそ正義。
週五以上入れると宣言するのは、それ即ち職場の軸になります!と宣言しているようなものでした。
こいつはウッカリです。
「でもでもでもね」
当たり前なのですが、ビルメンの正社員時代を考えると仕事は圧倒的に楽しいし気楽。
仕事中に
「楽しいなぁテンション上がってきたぞ」
なんて事もたまーにあります。
仕事があって雇われているので、とにかく退屈しません。
チョコチョコ動くので落ち着きの無い明るい無職としてはとても気が紛れて楽しいのです。
週五で働き続ければ、就農する時の資金もなんぼか貯まります。
週三程度に落とすと、ほとんど生活費で消えるでしょう。
悩みどころですね。
今のところ、学校との両立がプレッシャーとなっているので、これが続くようなら来月からは少し日風を減らしたいと思います。
それが雇う側にも
「明るい無職を軸にするには難しいかもしれない」
と思わせる効果もありますしね。
追記
ヘタレなのでガッツリ減らして週3にしましたwwww
「オッサンフリーターへ」
世の中には様々な事情があって、働けない人も多くいるでしょう。
アルバイトでつまづいた、なんて話もよく聞きます。
そんな人達に伝えたいのか
「週三程度で短時間働ける職場を探してみるといいよ!」
という事です。
いやいや、そんな中年雇わんでしょ?
と思われるかもですが、学生以上に応用の効く中年バイトは結構重宝されます。
とはいえやっぱりね、短時間とはいえ一日の終わりに仕事の予定がある、というのは少々精神的にプレッシャー。
それが週五〜だとほぼ毎日プレッシャー。
やっぱり辛くもなるというもの。
まず週3くらいから慣らしていって、そのあと日数も時間も増やせばいいと思うのです。
減らすのは難しいですが増やすのは相手もウェルカムですからね。
ほぼ自分への自戒の記事となりましたが、そんな感じにアルバイトをしていた明るい無職でした。
新規就農ハウス死闘編
人間苦手で有名な明るい無職です!
先日、知り合いの主催する意見交換会に参加してきました。
新規就農同士の集まりということで、人間苦手な明るい無職も怖々ながら参加してきましたよ!
「佐藤さんは苦労人」
最初に自己紹介したのに名前忘れましたが(白目)、確かそう、えーっと、佐藤さん!佐藤さんということにしましょう。
佐藤さんは新規就農の中でも新規参入者と呼ばれる非農家の方で、今は2年目に突入している農家さん。
農業法人で働き、その後地主さんから農機具と農地を借りて農業をしています。
顔はちょっと疲れ気味。
毎日休む暇もない、と愚痴のように言っていました。
販売ルートがなかなか上手くいかず、販売先が遠くなり移動距離が長くなってしまうのだとか。
しかも農地は井戸が無く、灌水の時はポンプ小屋まで行き何回も何回も往復して水を撒くそうです。
そんな佐藤さん、飲み会の後半でこんなことを言っていました。
新規就農はハウスは育苗くらいでいい、露地メインで回した方が楽
明るい無職は居抜きこそ最強と思っていた方です。
ノウハウの継承、販路や農地の確保、師匠との密な関係、その全てが得られるからです。
そのあとで佐藤さんが語った内容は、なかなかに考えるところがあるものでした。
「佐藤さんは責任感で体を壊す」
佐藤さんは農業法人に務めながら農地を探し、見つかったのがハウス付きということで喜んで飛びついたそうです。
地主さんの意思も確認し、仲良くなり、準備万端で就農開始!
しかし、そう上手くはいかなかったみたいで......。
まずハウスが古く、ビニールの交換が必要になったとか。
それからハウスをガンガン使おうとキュウリを植えたらしいのですが、夏のハウスの暑さで体調不良に。
その後も台風やなんやでハウスが大変なことになり。
そして前述の水問題。
佐藤さんの1年目は散々だったと言います。
その時佐藤さんの心の中にあったのは、せっかくハウス付きの農地を確保したのだから無駄にしたくないという焦り。そして地主さんへの感謝の気持ちの裏にあるプレッシャーだったそうです。
ハウスも本当は張り替えなくても大丈夫だったのかもしれないけど、地主さんの手前張り切ったんだそうです。
台風の時も同じです。
地主さんをガッカリさせてはならないと、お金をかけ時間をかけ対応したそうで。
結果、佐藤さんは多大な労力とお金をハウスに持っていかれてしまったそうです。
「露地はいいものだ」
勿論、佐藤さんは露地も借りています。
しかし露地はハウスのような慎重さはいりません。
荒れさせなければいいのですから。
ハウスに比べれば、という話で、露地は簡単超楽勝!ということでは無いですよ!
台風の時も、露地もダメージはもちろんありましたが、それは周囲も一緒。
むしろ助け合って連帯感が増したんじゃないかと笑ってました。
そもそもハウスは資金に余裕の無い新規には絶対必要という訳では無く、むしろ無しからのスタートで自分で作り自分の責任で管理した方が良い。
というのが佐藤さんの意見です。
自分でも言っていましたが、佐藤さんはとにかく上手くやろうと焦ってしまったみたいですね。
「さいごに」
明るい無職も鉄骨ハウスが使える!という話が来て大喜びしました。
結果は借りられませんでしたが。
しかし、今考えればどのくらいの劣化があったかも調べていませんし、年間の維持費も計算していません。
そして当然のように明るい無職には鉄骨ハウスでのきゅうりの栽培技術なんて無いのです。
そこを考えると、もし借りられても維持費に押しつぶされたかもしれませんし、わけも分からず持ち主の指示で働いて多忙な生活となっていた可能性もあります。
落ち着いてみれば、今の腰を据えて農業を学べる環境がベストだった気がしますね。
そんな訳で、新規就農というのは何も決まって無い分、様々な可能性がある、という話でした。
新規就農者を騙してやろう、という人はほとんどいませんが、自分の良いように使ってやろう、と思う人は多くいますので、利害関係をしっかり把握し、自分にとって何がメリットか考えてから農地の確保をするのがベストだと思う明るい無職でした。
便利すぎる世の中と依存する人々
文明社会バンザーーイ!!
な明るい無職です。
スマホとヘッドマウントディスプレイを生み出した現代社会に祝福を。
3Dを廃れさせた現代社会に呪いを!
「とても便利な現代文明」
移動手段は自転車、バイク、車、電車、新幹線、飛行機。
遠くに行かなくてもメール、電話で連絡が取れ、物も宅配便で送れる。
本は全国に流通していて図書館で借りられ、電子書籍で家にいても買うことが可能。
動画は動画配信サイトで簡単に見られ、有料サイトなら映画も見られる。
しかもどのサービスも貧困層でも使える値段設定!
見てこの便利な世の中!
しかし思うのです。
この発達した文明は、果たして三十路で体力有り余る明るい無職のような人間のためにあるのだろうか?と。
「便利すぎな気もします」
明るい無職は映画が好きです。
少し前は映画館にもちょいちょい足を運んでいました。
が、最近の映画館は4DXという観客一体型のアトラクションのような映画が流行りです。流行ってるかは知らないですが。
まぁこれが向かない向かない(笑)
光ピカー!とか椅子ゴゴゴゴゴ!とか煙もくもくー!とか匂いフワフワー!とか水パシャパシャー!とかいらないyo!!
静かに映画見させてくれyooー!!
そんな訳で明るい無職はあまり映画館に行かなくなりました。
あとエスカレーターとかね。
便利です。必要です。
でも明るい無職は階段が好きです。運動になるから!
じゃあエスカレーターって誰のためにあるの?と考えると、元気が有り余っていない人のためです。
楽したいな、って時は勿論あって、エレベーターだってエスカレーターだって使うんですよ?
でも、楽したくない時も使ってませんか?って思うのですよ。
「介護」
祖母の介護してると本当に感動します。
寝たきりの人でも床ずれが出来ないように、姿勢を自動で変えてくれる自動ベット。
一日に必要な栄養を飲み物である程度補給してくれる栄養補助食品。
吸水力が凄く、ちょっとやそっとのオシッコじゃ漏れないオムツ。+防水シーツ。
寝たきりでも着替えが簡単なファスナー付きのパジャマ。
今となっては祖母には使えませんが、音声で反応しオフオンする電気。
どれもこれも素晴らしい技術です。
他にもありますが、これらが無い時代の介護はどれだけ大変だったでしょう。
今うちの祖母が長生きしているのも、家族で介護できているのも文明のおかげです。
介護する側も、あまり外出できませんが買い物は宅配スーパーもあります、娯楽はスマホで本も読めますし、Amazonプライムで映画も見れます。
確実にストレスを緩和してくれているのです。
「必要な物が必要な時に必要な場所に」
明るい無職は文明大好きですし感謝しまくりです!
在宅介護という地獄の一丁目が楽しく感じられるのは、確実に文明のおかげなのですから。スキマ時間を有効に使える高速の移動手段(バイク、車、なんなら自転車)のおかげで自由もありますし、必要ない時は歩いて買い物に行くのも楽しめています。
なのですが、どうも文明の無駄使いというか、必要でない人がそれを使い、必要な人が遠慮してしまう光景が多く目に付く気がします。
救急車を無駄に呼ぶ人みたいな感じです。
良い例えが浮かびませんが。
そんな訳で明るい無職は文明のある現代社会を全力で愛しています!
特に介護や福祉の業界に、その技術が活かされ、介護する側もされる側もユルユルと生きていけるようになって欲しいです。そうなる基盤は日本にあるのですから。
あって当然、貰えて当然と感じる心にブレーキを。と思う明るい無職でした。
まる。
35歳無職がスーパーで品出しのアルバイトをしたよ!
35歳でwwwwバイトとかwwwwプギャー(゚^Д^゚)プギャー
とお思いの皆様こんにちわ。
明るい無職こと35歳オッサン無職です。
農業学校に通いながら資金稼ぎの為にスーパーの品出しのアルバイトをしてみましたが、どうだった?というお話。
結構楽しかったよ!!!
「理由のあるアルバイトは気楽」
農家目指してます!学校卒業したら多分辞めます!
という感じで受かったスーパーの品出し。
作業内容は
・品出しのために売り場と倉庫を行ったり来たり
・空いたワゴンの整理整頓
・閉店の片付け
・売り場の変更
・見切り
・廃棄
・イベントの準備
・掃除
という感じです。
面倒だったのはイベントの準備と売り場の変更でしょうか。
イベントの準備は人手も足らずドタバタでしたし、売り場の変更もやはり人手が足らずワタワタしてやってました。
とはいえ、メインとなる品出し作業は誰に文句を言われることも無く、黙々と足らない商品を足していくだけ。
まぁお客さんから質問されたりもしますが、基本はノンストレスです。
何より、35のオッサンでしたが農業を目指しているという理由が結構オバチャンうけしまして、人間関係はかなり楽でした。
大学生なんかには少し舐められてましたが( ;꒳; )
高卒バカにされたのはワイは忘れんやで
(💢'ω')
辞める時も、学校終わって就農の準備があるので!
と、すんなり辞められました。
時は丁度新型コロナが出始めた頃。
今となっては良いタイミングでした。
「見切りは楽しい」
仕事で何が楽しかったって、見切りですね!
安すぎなきゃ好きな値段にして良い、との指導の元、自分なら幾らで買うかな?とやらせていただきました。
まぁそれでも売れないものは売れないんですが、帰りにそれらを買って帰るのは楽しかったですね〜。
買い物上手ーー!
フォ━━━━ヾ(*●Д●)ノ゙━━━━!!!!
とか思っていた時期もありました。
結果的には不要な菓子パンとか惣菜とか買ってたので、毎月の食費は今より増えてましたね。
( ;꒳; )
「社会復帰には良いかも!」
スーパーの品出しは朝一番or夕方〜閉店前の短時間がオススメです!
正社員が手の届かない部分をやるので、結構重宝されます!
ただしパートタイマーは辛いかも。
かなり広範囲の事をやらされるようです。
レジとか、カウンターとか、試食とか。
そいでパートさん達の陰口に巻き込まれます。
その点、時間帯を絞った短時間アルバイトは陰口言われてようとまぁ聞く機会は無いので安心。
そいで半年もやれば、その時間帯に関してはベテランになれます。
ベテランになると社員さんからもお願いされますし、どんどん仕事は楽になって行く事でしょう。
なにせ身分は短時間、そろそろアイツも慣れてきたから新しい仕事をさせるか!とはならない!固定される!慣れた仕事に固定される!これ即ち!自信に繋がる!!
明るい無職は仕事には良い記憶なんて無いんですが、35歳アルバイトという稀有な立場でありながらも今回は楽しく働かせていただきました。
際立って辛いことは無かったですね。
最後は辞めるか辞めないか少し悩んだくらいです。
辞めたけど。
無職のオッサンが農業学校へ行って意味はあったのか?
それは、暖かな日差しの降り注ぐ春。
教室には見渡す限りオッサン、オッサン、オッサン。
そう、僕達は農業学校の受講生(ほぼオッサン、そして今日は、卒業式。
「明るい無職君(オッサン)、卒業おめでとう」
明るい無職(オッサン)
「はい!ありがとうございました!!」
今日は、そんな明るい無職(35歳、無職、オッサン)が1年間農業学校に通い、結果どうだったの?というお話です。
「求めよ、さらば与えられん」
さて、農業学校で人生初の事を多くしてきましたが、どんな事をしたかと言えば。
・実践的な農業(は種、鉢上げ、定植、畝立て、マルチング、消毒、防除、脇芽取り、摘芯、収穫、出荷、販売などなど)
・農業機械の操作(管理機、トラクター、種まきゴンベい、草刈機、動力噴霧器などなど)
・座学による農業知識の勉強
どれも非農家の人間からしたら初めての経験ばかり。
そりゃもう不器用な自分は怒られまくりの注意されまくり。
草刈機の操作が下手、管理機を使ったこと無い、畝が曲がる、夏のブロッコリーが半壊、葉物がアブラムシに襲われまくり出荷禁止、とかもうね!
そんな中でもヒーコラ言いながら通い、勉強し、卒業時には売上も生徒の中で真ん中くらいと自分では拍手喝采したいくらいの成績。
結果としては
通って良かった!
今はまだ次のステップで足踏みしているのですが、学校に1年間通ってた、というのは説得力になっており、皆さん新規就農を目指す人、という目で見てくれます。
行動こそ説得力というのがよく分かりました。
まぁトラクターも管理機も種類が変わればまた下手こくでしょうけどね!
「コミュ障な明るい無職ですが」
農業の基礎知識を学べる、というのがメインではありますが、同じ目線の仲間と一緒に活動できる、というのも実は大きかったり。
新規就農者はホントもう背景はバラバラで、親元だったり農家の婿養子だったり農業法人出だったり自分のように非農家だったり様々ですが、能力差は実はそんなに無かったり。
就農で悩んでるからこそ来る場所ですからね。
そんな彼らと同じ目線で語り合うというのは、今後なかなか無いイベントです。
何処に行っても普通は先輩後輩師匠弟子上司部下と立場が着いて回りますからね。
そして何より!!
お互い利害関係の無い人間関係というのは!!
例えコミュ障であってもっっっ!!
すっごい!楽ぅぅぅ!!
なのです。
お互いが独立就農を目指す他人な訳ですからね、例え相手が引きこもりであろうと無職であろうと農業知識ゼロだろうと気にしないのです。
今の時代、スマホで連絡は簡単にとれますから情報交換もとっても楽。
現に明るい無職が今気になっている地域おこし協力隊も学校の友達からの連絡で知りましたし。
先日は農業バイトも一緒に行ってきました。
昔であれば新規就農してしまえば地域との繋がりがメインなので縁も切れやすかったかもですが、今の時代は本当に良い繋がり方が出来ますね。
これにはコミュ障な明るい無職もニッコリウフフ(*´ω`*)
「農業に興味を持ったなら」
まとめとしては、農業に興味を持ったなら是非近くの農業関係の学校とコンタクトを取ってみてください!
理想であれば、サラリーマンをしている内に簡単な土日コースなどに通い、家庭菜園や市民農園で経験を積み、新規就農に理解のある農家さんと繋がって、その時が来たらガッツリ学べる学校に通う。というのが良いです。
自分のように突然行くのも当然アリです。
信用が無い分、試されるような事を言われたり、厳しい言葉で覚悟を試されたりもしますが。
まぁ相手も潰す気では無く探ってる感じなので良いコミュニケーションの勉強にはなりす。
その時は辛いけどね!
世の中を恨むけどね!
大丈夫!
美味しい物食べてゆっくり寝て1週間もすれば治るよ!!
あとその過程で愚痴れる仲間も出来たりするから!
愚痴れると大分回復は早くなるよ!
そして農業を目指しだしたら是非SNSを活用してみて欲しい!
正直SNS無かったらキツかった!
SNSには先輩農家さんも、同じように新規就農を目指して研修している人も、農業に興味がある人も、沢山いるよ!
そんな人達と関わりながら農業を目指してご覧なさいよ、そりゃ辛くても頑張れる訳ですよ!
そんなこんなで無職のオッサンが農業学校に通ってみた結果ですが、最高でした!
東日本大震災と無職の話
明るい無職は東北住まいなので実は東日本大震災もモロに食らった1人。
とはいえ、家族は全員無事だったし、実家も亀裂やらなんやらはあったもののその程度だったので、当事者と言うのも気が引ける感じです。
そんな無職から見た震災の記憶をちょっと書きました。
「住んでたアパートが大規模半壊」
さて、その頃無職は無職じゃなかったんですが、東日本大震災が起きた3月11日14時46分、アパートの自室でグースカ寝ておりました。
ちなみに階は13階。
物凄い揺れで目を覚まします。
あ、これこのアパート折れるわ、死んだな。
と脳裏に過ぎるくらいの揺れです。
もうどうする事も出来ず、ただ落ちてくる物から身を守る事しか出来ませんでした。
そして地震が静まり、部屋を見渡すと家具や家電が全て倒れ、落ち、部屋は散々たる光景に。
異常事態なのはすぐ分かりましたので、とにかく1度外へ降りて情報を集めました。
時代はまだワンセグ、近くの車屋に行って話をしたり、知らない人と情報を交換したり。
結果、とにかくこれはすぐ避難しよう、と住民達で話し、全員1度状況を見に部屋へ。
(これがあまり良くはない行為であるとは思いましたが、何せ逃げようにも何も持って無いので)
すぐ自分の部屋から貴重品だけを持って脱出。
したい所でしたが、何故か知らない近所の人の避難も手伝ったりしてましたね。アドレナリン出まくってたからでしょう。
そして自転車で祖母の家を目指した訳ですが、雪が降るわパンクするわでトラブル続出。
そんな中でも途中途中で情報を集めたり、外に出て販売してるお店を回ってみたり。
そしてなんとか祖母の家に到着し、介護で住み込んでいた家族と合流することが出来ました。
後日談ですが、住んでいたアパートは大規模半壊ということで取り壊されてしまいました。
しかし悲しいことに住民票を移しておらず、被災者とみなされなくて補助金などは貰えなかったのは懐かしい思い出です。
(半年くらい粘った(笑))
「恐ろしいラジオ」
停電で情報が入って来ない中でも、ラジオやワンセグで辛うじて情報が入ってきました。
(断水も発生してました)
しかし別に住んでいた父や姉、友人などの状況は分からず、不安の中で夜になりました。
深夜、ラジオを流しながら横になっていると、海岸におびただしい数の死体が打ち上げられた、そんなニュースが耳に入ってきました。
恐ろしい事が起きている。
聞いた時のその感情はやたら鮮明に覚えています。
しかし翌日からは有り余る体力に任せて情報を集め、周囲の様子を確認し、店舗を回ったりし、そんな事をしているうちに数日後にはライフラインも復旧しました。
今はもう普通に生活していますが、地震があった時の「死ぬ」という感情や、ラジオから流れたおびただしい死の情報は今も忘れられないですね。
だからと言って人間的に成長したとかそんな事は無いのが自分のキャパシティの限界を感じますね。
( ;꒳; )
でも今でも農地を探していたりすると、あそこの誰々は津波で流された、とか、家が持ってかれたとか耳にしてしまうので、確実に爪痕は残ってるんですよね。
実際、農業をするにもしても風評被害は今も続いていますし。
一生きっと何かしらの形で背負っていくのかと思いますが、それでも重い重いと苦しむよりは、意味のあるモノとして背負っていきたいと思っております。
オチも特にないですが、そんなお話でした。
あの頃はブログもTwitterもしてなかったので今初めて文にしてみましたが、自分で書いていても信じ難い経験ですね本当。
確か写真も何枚かあったはずなので、探してみたいと思います。