明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

東日本大震災と無職の話

明るい無職は東北住まいなので実は東日本大震災もモロに食らった1人。
とはいえ、家族は全員無事だったし、実家も亀裂やらなんやらはあったもののその程度だったので、当事者と言うのも気が引ける感じです。
そんな無職から見た震災の記憶をちょっと書きました。

 


「住んでたアパートが大規模半壊」

 

さて、その頃無職は無職じゃなかったんですが、東日本大震災が起きた3月11日14時46分、アパートの自室でグースカ寝ておりました。
ちなみに階は13階。
物凄い揺れで目を覚まします。


あ、これこのアパート折れるわ、死んだな。


と脳裏に過ぎるくらいの揺れです。
もうどうする事も出来ず、ただ落ちてくる物から身を守る事しか出来ませんでした。

 

そして地震が静まり、部屋を見渡すと家具や家電が全て倒れ、落ち、部屋は散々たる光景に。


異常事態なのはすぐ分かりましたので、とにかく1度外へ降りて情報を集めました。
時代はまだワンセグ、近くの車屋に行って話をしたり、知らない人と情報を交換したり。
結果、とにかくこれはすぐ避難しよう、と住民達で話し、全員1度状況を見に部屋へ。
(これがあまり良くはない行為であるとは思いましたが、何せ逃げようにも何も持って無いので)

 

すぐ自分の部屋から貴重品だけを持って脱出。
したい所でしたが、何故か知らない近所の人の避難も手伝ったりしてましたね。アドレナリン出まくってたからでしょう。


そして自転車で祖母の家を目指した訳ですが、雪が降るわパンクするわでトラブル続出。
そんな中でも途中途中で情報を集めたり、外に出て販売してるお店を回ってみたり。

 

そしてなんとか祖母の家に到着し、介護で住み込んでいた家族と合流することが出来ました。

 

後日談ですが、住んでいたアパートは大規模半壊ということで取り壊されてしまいました。
しかし悲しいことに住民票を移しておらず、被災者とみなされなくて補助金などは貰えなかったのは懐かしい思い出です。
(半年くらい粘った(笑))

 


「恐ろしいラジオ」

 

停電で情報が入って来ない中でも、ラジオやワンセグで辛うじて情報が入ってきました。

(断水も発生してました)
しかし別に住んでいた父や姉、友人などの状況は分からず、不安の中で夜になりました。


深夜、ラジオを流しながら横になっていると、海岸におびただしい数の死体が打ち上げられた、そんなニュースが耳に入ってきました。

 

恐ろしい事が起きている。

聞いた時のその感情はやたら鮮明に覚えています。

 

しかし翌日からは有り余る体力に任せて情報を集め、周囲の様子を確認し、店舗を回ったりし、そんな事をしているうちに数日後にはライフラインも復旧しました。

 

今はもう普通に生活していますが、地震があった時の「死ぬ」という感情や、ラジオから流れたおびただしい死の情報は今も忘れられないですね。
だからと言って人間的に成長したとかそんな事は無いのが自分のキャパシティの限界を感じますね。
( ;꒳​; )

 

でも今でも農地を探していたりすると、あそこの誰々は津波で流された、とか、家が持ってかれたとか耳にしてしまうので、確実に爪痕は残ってるんですよね。
実際、農業をするにもしても風評被害は今も続いていますし。

 

一生きっと何かしらの形で背負っていくのかと思いますが、それでも重い重いと苦しむよりは、意味のあるモノとして背負っていきたいと思っております。

 

オチも特にないですが、そんなお話でした。

あの頃はブログもTwitterもしてなかったので今初めて文にしてみましたが、自分で書いていても信じ難い経験ですね本当。
確か写真も何枚かあったはずなので、探してみたいと思います。