明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

死を思った結果、農業が繁栄するのじゃないかと飛躍する無職の思考

メメントモリなんて言葉がありますが難しいことはよく分からない明るい無職です。

メメントって映画は面白かったですね、ふふ。

最近読んだ本に
「死」を切り離したから現代人は「生」を満喫できないんやで!
という言葉があったので考えてみました。

そしたらね、死を思うとメリットが沢山出てきたんで書き出してみることにしてみたのです。


「死ぬという絶対」

まぁ人は死ぬわけですが、プラスして老化も襲ってくる訳です。
老化自体は鍛えればなんぼか防げますが、病気なんかは結構運です。
すると、年老いた後は自分1人の力で生きていくのはなかなかに困難な訳ですよ。

わしゃ最後まで人に頼らん!1人で死ぬ!

なんて言っても認知症なんかになれば訳が分からなくなります。
認知症になると今までの我の強さは一気に災いしますよ。
老後に疎まれてもええや!今が大事!とか思ってても、老後はその老化した今こそが今です。

なら、その弱った未来を未来として切り離さないで、今として見てみてはどうでしょう?
自分は明日にも死ぬかもしれない、人の手を借りて生きなきゃいけないかもしれない。
そう思った時、人は自分以外のものに感謝を持つんじゃないでしょうか。
こんなワイを助けてくれるなんてありがたい。
この人には幸せになって貰いたい。

なんて。

「消えるなら 渡してしまえ 何もかも」

人がいつか消えると言うなら、そこに気がついた時から消えた時の準備しておけばええのじゃないでしょうか。
消えるならもう誰かに色々渡しちゃえ、と。
その渡し方は様々なので自由なのです。

例えば明るい無職なら、農家を目指していますので、その農業の知識や経験、器具や環境、そんなものでしょうか。
将来、自分が農業で生計を立てられたとして、それを抱え込まずに死ねるとしたら、そんな幸せなことは無いと思います。
一昔前なら家族に継承が当たり前でしたが、今や農業を継承して欲しいなんて家族には言えません。

むしろ明るい無職に継承できる家族いないですしね。
はは!自由なものですよ!
はは!

( ;꒳​; )


それでですね、渡す人生ってとにかく楽だと思うんですよね。
渡して終り、とはなりませんが、肩の荷は降りるでしょう。言葉そのままですが。
めんどいのは不用品を溜め込む人生。
使えなくなったものを後生大事に抱え込んで、死ぬ前にその整理に追われるなんて疲れちゃう。

現代社会だからこその継承方法」

昔は大変だったと思います。
戯け者は田分け者と知った時は驚いたものです。
田んぼという財産を子供に分割して分けるのはバカのする事だって意味ですね。
農地はそれだけ財産として大切だったという事ですが……。

しかし今や田んぼは使われずに放置されています。
田が余ってるのです、田分け者どころじゃない事態ですよ。

農地に限らずですが、社会が健全に回るためには資産の再分配が必要とされています。
一部の人間が資産を溜め込むのは社会に良くないのです。

もちろん貯め込む方にも言い分があって、家族には貧困に喘いで欲しくなんて無いです。
ですが、その思いやりが農家の子供を苦しめたりもしている訳です。

なんせ現代社会は世の中の動きがとにかく早いです。
少し前は磐石だった物が、世界の動きに合わせて簡単に崩壊します。親から継いだものが負の遺産になることだって少なくありません。

例として、この前米農家のご子息と話したことなんですがね。
数百万する農機具が壊れたらしいんですよ。
買い替えてもその損失を埋めるには何年もかかる。
続けるか悩んでいるそうです。

そんな事もあるので、一概に子供に継承したから安心とは言えません。
なら、ですよ、必要としてる人とマッチングして継承していった方が負の遺産は生まれないと思うのです。

マッチングさせるシステムは今や過不足ない状態で存在しますし。

世の中、サラリーマンが上手くいかなくてどうしたら良いのか分からない人間がいっぱいおるのです。
そういう人ほど農業は向いている一面があると思います。

農業は社会の受け皿じゃない、本気でやる気が無ければ農業は務まらない!そんな声もありますが、サラリーマン向いてるならサラリーマンしてた方が確実に幸せになれる世の中なんです。むしろサラリーマンに向いてなかったから一次産業に適性があるかもしれません。
もし失敗したとて、その人はサラリーマンの方が向いていると思えるようになるでしょう。後ろ向きな気持ちさえ植え付けなければ、失敗も人生の肥やしになります。きっとその人は幸せを感じる材料が増えます。
そういう人が農家と都市部を繋げるビジネスを考えたりするものです。

ビジネスじゃなくたって、いつだって遊びに来ていいよって関係を築いていれば、農家と都市部を繋ぐ架け橋には必ずなります。
絶対成功するぞ、なんて若者だけ誘致してたって農業の未来は明るくなんてならないのです。

「死を思え」

自分も死ぬし相手もいつか死ぬ、そんな中で感謝して生きて行こうじゃぁないですか。
綺麗ごとなのは百も承知ですけどね。
自分が生きている間、なんて狭い視野だと、暗闇の中足元だけを見て歩いているようなものじゃないでしょうか。
そら用水路に落ちたり、車にひかれたりする訳です。
折角なら周囲を見て、遠くを見て、自分が疲れて休む場所も視野に入れて歩きましょう。

歩くの邪魔しようなんて人もいるでしょうけど、遠くを見てれば案外簡単に避けられるものです。
遠回りすることになったって、それだけ色々な景色を見ることが出来てラッキーってなもので。
その道中、きっと背負っている荷物を譲りたい人間も現れることでしょう、
それが子供なのか、赤の他人なのかは些細な話で。

そしていつか死ぬんだと思います。
足元を見ていたばっかりに転び、背負った荷物に押しつぶされるのか。
遠くを見て、荷物を減らして、最後はここだという場所で死ぬのか。

荷物を譲ったばかりに困った困った、なんてこともあるかもしれませんがね!