明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

セカイ系主人公ーアカルイ・ムショクー

世界のために俺は犠牲になる。それで、皆が笑顔になるなら。
で有名な明るい無職です。

ここでぶっちゃけますが、明るい無職はセカイ系作品の主人公です。
セカイ系っていうのは、物語のキーキャラクターの存在が世界の存続に関係したりする物語ですね。


「今日も犠牲となった明るい無職」

俺は今、某スーパーにいる。
目の前には無数の牛乳。
彼らにはナンバーが振られ、識別されている。
俺は迷わず、その中で1番小さいナンバーの牛乳を手に取り、カゴに入れた。
それは、賞味期限というナンバー。

また、1つの世界を救ってしまった。

まぁそんな話なんですけどね。
どうせうちはすぐ飲むので、別にいいんですよ。
数日過ぎても飲むし.

なんか賞味期限って長いほうがいいかなーと思って奥の方から買っちゃいますけど、常用で使ってる(食べてる)なら別に気にしなくていいんですよね。
(最近だとスーパーの方で手前に新しいのを出してきたりしてますね)

「損も自分の選択」

何故かは知らないのだけれど、社会に出た時にはもう損をしない方を選ぶのが常識、と思ってました。
なのでガンガン賞味期限長いの買ってましたし、凹んだパックとかも避けてました。
損するのは自己責任、得するのも自己責任、じゃあ損しないようにしないとね。という思考だった気もします。

しかし損しないようにしよう、というのは果たして正しい選択をしていると言えるのか?と思う訳です。
正しい、っていうのはあくまで自分の話で。世間的な正しさは無視しておきましょう。

自分にとっての正しさっていうと、もうこれは簡単で「生きやすいか」という事。
一見賞味期限と関係ないのだけれど。実は大いに関係している。

もし新しい牛乳ばかりを買っていたらどうなるだろう。
牛乳は賞味期限が切れ、廃棄されてしまう。
廃棄コストがかかる。
コストは牛乳に、スーパーの商品に上乗せされるかもしれない。
店員の給料が下げられ人員不足になるかも。
何なら業績悪化で好きなスーパーがいなくなるかもしれない。
どれも嫌だ。

じゃあ古いのを買おう。
だって古いって言っても何の問題も無い。
問題があれば買わないけど。問題ないのだから古いのでもいいのだ。
そして気が付けばブログのネタになってるし。

愛すべきスーパーが存続して、美味しく牛乳が飲めて、ブログのネタになる。
一方で新しい牛乳を買ってたなら、スーパーの存続なんて気にならなかったし、牛乳にだって感謝しなかったし、ブログだって今日はお休みしていたかもしれない。
古い牛乳を買うと決めたからこその思考なのだ。

「さいごに」

これはアホな事を言ってるようで、実は大事で。
大量消費大量生産の世の中では安さや品質が正義でその背景は無視されてしまう。
実は買う側の責任って物凄く大きくて、売る側はデータを取ってるからどういう商品が消費者に喜ばれるのかちゃんと見て売っている。
安いから、品質がいいから、そんな理由で買ってると、実はその安さの裏には大量廃棄があったり、品質の裏には奴隷労働があったりする。
全部その背景を探るなんてのは無理難題なのだけれど、ちょっとそんなことに思いを馳せて物を買うのも面白いよね。

かと言って安いものを買うから悪いという事、とは思っていないのです。
なんせ明るい無職は生粋の無職、お金なんて無い。
基本は安いものを買う。
賞味期限の長い牛乳を買う人は、一人暮らしで消費スピードが遅いのかもしれない。
まぁそんなこともあるのでケースバイケース。
明るい無職が古い牛乳を買うことで、そんな人たちに新しい牛乳が回れば更に幸いです。

などと思う明るい無職でした。