明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

明るい無職の変人による変人の為の変人塾

明るい無職は変人である。
仕事辞めて暇になったし蟻飼うか!
と思いTwitterで呟くくらいには変人である。

しかし、明るい無職は変人であることをなるべく隠して生きようとしていた。
変人とは社会では差別されるものだと考えていたからだ。

だが、明るい無職は声を大にして言いたい。
変人であることを周囲に伝えることこそが、生きやすくなる術なのだと。



人は変人であることを隠して生きている

変人であることがバレたら村八分になる。
そう恐れ、明るい無職は周囲に馴染もうと努力してきた。
結果、明るい無職は孤立する。
表面上の付き合いはできても、とにかく疲れるのだ。
明るい無職にとって人と会うというのは、忍者で言うなら気配を殺しターゲットを暗殺する行為だ。
変態の気配を常に殺し、常人であることをアピールし続け、別れ際には楽しかったと思わせなければならない。
しかし、一線を越えて仲良くなることを極度に恐れるから寄って来れば自ら距離を置く。
そうして明るい無職は必然的に孤立して行った。

だけれど、明るい無職の周りには一定の寄ってきてくれる人間がいた。
そう、変人である。
しかし明るい無職は変人であることを隠して生きる闇の末裔、変人とつるむ事は危険が多く存在する。
明るい無職はせっかく近づいてきてくれた変人に対し、自ら距離を置いてしまうのだ。

なんと悲しき忍びの定め。
忍びじゃないけど。

Twitter甲賀忍法帖

甲賀忍法帖をご存知だろうか?
今の人はバジリスク甲賀忍法帖ーで知っているかもしれない。
この物語は甲賀と伊賀、二つの忍者の里が忍術合戦を繰り広げる物語だ。
今まで影となり忍んでいた忍者が、思う存分自分の忍術を披露し合い殺し合う。
忍者達はそれを嬉嬉として実行する。

話は変わるが明るい無職はTwitterを始めた頃、かなり大人しかった。
面白いツイートをしようと、現実同様に忍んで活動していた。
だが、流れてくるタイムラインを見て驚愕した。
ニートニートを名乗り、エロい人がエロさを隠さず、社会の本流から外れた生き方が堂々とそこには表現されているのだ。
これはまさに忍者の忍術勝負、己の変人性を隠すことなく表現出来る喜びに打ち震えた猛者たちが披露し合っているのだ。

明るい無職は喜びに震えた。
ここでは拙者の忍術(変人性)を余さず披露していいのか?いいのだ、いいのである!
そこから明るい無職は変人さを見せつけて行った。
するとどうだ、人が避けていくどころか、人は近くに来てくれた、会話を交わすようになった。
まさに変人合戦、そしてそれは明るい無職の日常をも侵食していった。

常識に囚われない変人達

明るい無職は徐々にだが私生活でも変人性をアピールするようになっていった。
これは明るい無職の得意分野である。
常人を装う術を知り尽くしているが故に、そこから少し変人性を匂わせるのは余裕であった。
今までの社会人経験は無駄では無かったのだ。

こうして、明るい無職は退職したこと、農業を目指していること、Twitterをしていること、価値観の変化、などを身近な人間に伝えていった。
すると、思った以上にすんなり受け入れてくれたのだ。
友人も応援してくれたり、また話に乗るものもチラホラ見られた。

そうなのだ、明るい無職の身近には、すでに変人性を秘めた人間しか残っていなかったのだ。
そして変人というのは、対変人に関してかなり寛容な部分が多いことも分かっていった。
こちらの変人性を見せることで、相手も少し変人性を見せてくれる。
変人性が完全に噛み合うことは無いが、お互いが許容できる範囲で受け止め、理解を示すことが出来るのだ。
思えば職場でも明るい無職に良くしてくれた人は、大なり小なり変人性を秘めていたように思う。
しかし、その時は己の未熟さゆえ、明るい無職は変人性を隠し忍んでしまった。
もしかしたら、あの時変人性を出していれば別の未来があったのかもしれない。


変人同士は惹かれ合う

昔なら変人は排除される存在だったのは間違いない。
しかし、現在はネットによって様々な感性と触れ合うことが可能で、多様性が求められる時代になった。
職場で常人の姿をしている人間も、必ずどこかで変人性を見聞きしている。
ちょっとやそっと変人性を見せても退かれることは無い。
変人は最早迫害されるだけの存在では無いのだ。

ただ注意も必要に思う。
変人性はある意味で唯一無二のものだ、変人であることを声高々に伝えたい気持ちもあるが、声が大きすぎ、かつ興味も無い内容なら騒音でしか無い。

なのであくまでBGM程度に。
僕はこんな変人なんですよ、と相手に伝えるだけで良い。

また、変人性はハラスメントを防ぐ壁にもなり得る。
変人性=個性なのだ。
個性を確立した人間というのは強い壁を持っているようなものだ。
個性の壁の中は他者の想像を超える空間が広がっている。
想像しにくい世界というのは、他者は侵入を躊躇うものだ。
つまり貴方は変人性を示すことで、正体の完全に捉えられない個性ある人間に変化する。
どこか不気味な存在だ。
そんな存在に、人は魅力を見出し、そして畏怖する。
何かあって対立しても、アイツは何かわからない武器がある、と思ってしまう。頭ごなしに噛み付いたり出来なくなるのだ。

現に以前、明るい無職が所属していた会社に、そういう人間がいた。
彼は面倒な人間、というカテゴリーに分けられていた。
彼を面倒臭い人間と皆言っていたが、見下し成分は三十パーセント程で、残りの七十パーセントは変人性による解読不能な個性で占められていた。
そうなると不思議なもので、人は彼を少し見下しながらも魅力的に感じるのだ。
だから彼が失敗しても頭ごなしには怒らなかったし、彼の助言を求める時も多くあった。

ちなみに明るい無職は

明るい無職はカメレオンのように、人に合わせ常人の色を見せていたので、見下されると百パーセント見下されるという存在でした!
変人性という不可解な部分を見せないので、相手は安心して見下すことが出来るのです。

今思えばとんでもない道を選んでいたものです。

しかし、意外と明るい無職と同じように生きている人は多いのではないでしょうか?
人の顔色を見て動いてしまう人。
空気を読んだつもりで空気に動かされている人。
そんな人は是非、自らの変人性を解き放ってください。
解き放ち方はTwitterで学ぶといいでしょう。
フォロワーの数は貴方の変人力を図る良いカウンターとなってくれます。
是非そこで変人であることを公表し、その変人性を成熟させてください。
成熟した変人性は、必ず貴方を素晴らしい変人と引き合わせてくれるでしょう。


おわりに

本当は変態と書きたかったのですが、各界から非難の声が殺到しそうなので編集の意見で変人とさせていただきました。
変態の方々には重ね重ねお詫びを申し上げます。