明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

無職、介護を振り返り怒りをぶつける、の巻

明るい無職が初めて社会人となったのは、特別養護老人ホームの介護員としてパートを始めた時です。
一年で正社員にする、との約束での勤務でした。

ま、一年後にはいないのですが。


地獄へようこそ!

最初の頃の介護の思い出。
それは新人二人によるレクレーションでした。
リーダーからの指示はただ一つ、リハビリパンツを履いて踊る、というものです。

何そのセクハラ&パワハラ

しかしその頃の無垢な明るい無職に抗えるはずもなく、踊らされました。

他に思い出せることは、記録の書き方ですね。
介護は勤務の終わりまでに入所者さんがどう過ごされていたか記録に付けます。
記憶違いでなければ、5時の定時の日に9時ぐらいまで書き直しを命じられていましたね。
理由は、語尾や用語の書き方が施設の形式と違うから、でした。
後から見直した時に、書き方が違うと分からなくなる、とか言ってましたね。
そんなに合わせたいならGoogle翻訳にでもかけとけよファッキン。
と今なら思いますが、あの頃のピュアな明るい無職には言えません。

夏祭り

半年も経過すると、施設の行事にも参加するようになりました。
それは夏祭りのことです。

じゃあ無職をリハビリパンツで櫓に登って踊らせよう

リーダーが提案したのです。
なんやこいつそんなにワイの半裸みたいんか。
とはその頃のビュアな(以下略)
結局マジと書いて本気で踊らされました。
ご家族様も笑っていやがりましたね懐かしい。

ちなみに踊りの練習は勤務時間外に行われていた為、その頃はほぼ休み無しで出勤してました。
この頃から正社員になりたくなくなってきてましたね。


まだまだ続くよ休日出勤

さて、無職のいた施設だけなのか知りませんが、毎週一日カンファレンスという名の打ち合わせがありました。
これは勤務外の人間全員召喚です。
そこに行事の準備(花輪作成などなど)が重なり、勤務以外でも職場に来なくてはならない地獄が続きます。
ある日のことです、無職の同期が行事の準備をバックレました。
理由は分かりません。
その数週間後、彼は辞めてしまったからです。
それはそれは恐ろしい光景でした。
平身低頭謝り続ける彼をリーダーとサブリーダーが罵り続けるのです。
そら辞めるわ、と思った無職もその数ヶ月後辞めました。

まだまだあるよ熱い人間関係

本当に思い出せばキリがないのですが

彼女を妊娠させたと堕ろす費用のカンパが始まる
押し売りのごとく自分の古着を売りつけてくる先輩
自分のタバコ休憩はかかさないけど、新人がトイレ掃除が遅いと怒るサブリーダー

あそこはほんま地獄の一丁目やったで......

介護を目指す人達へ

世の中の介護施設が全部こんなんということはありません。
ありませんが、地獄も生温いくらいの介護施設は存在します。
介護自体も大変なのに、人間がぶっ壊れてるのですからそらもう地獄絵図とはこのことです。

なので、その施設が真っ当かどうか、必ず見学に行ってください。
出来ることなら行事にも行くくらいの調査が必要でしょう。

明るい無職は退職後も未練がありボランティアをしたり面接を受けたりしていました。
その中には本当に良い施設もチラホラありました(落ちましたが)。

そういうところに入ることが出来れば、きっと素晴らしい介護の仕事と接することが出来るはずです。

介護の仕事は職場選びの妥協はダメ絶対

明るい無職との約束です。

次回予告

次回の「突撃!無職の職場体験」は郵便局!
皆の暮らしに深く関わる配達員さんのお仕事だよ!
その中身のエグイ所や黒い部分を大公開!
愚痴っぽくなったらほんとごめんなさい。
ごめんなさい。

次回
ほんと愚痴っぽくてごめんなさい