明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

暇とは潰すものにあらず、暇を楽しめてこその無職だという話

いいか、潰すのは暇じゃねぇんだよ。
潰すのはな、暇を潰したいと思っちまうお前のさもしい心根だよ。

はい。
良いこと言おうとすると意味がわからなくなる、という例から始まりました明るい無職ブログです。

心根を潰すなんて表現聞いたことねぇよ。


「暇」について議論

記憶も朧気ですが、確かTwitterでのやりとりでした。
「暇」であるということをどう捉えるか、そんな会話です。
無職は暇というのは何か意義のあることに転換してなんぼだと思う派です。
しかし、とある沖縄の方

暇を楽しめなきゃ暇人は語れない

とかなんとかそんな感じのイメージで言ったような言わないような。
しかし明るい無職はその言葉が何故か頭から離れなくなりました。

暇というのは果たして潰すためにあるのだろうか。


暇◀ぴっ
潰す◀ぴっ

「それを 潰すなんて とんでもない」

ある時はTwitterでこんなやり取りをしました。
さて、サラリーマンの頃の無職は何の疑問も持たず暇は潰すものでした。
大半の人がそうじゃないでしょうか。
その結果を書きますね。

底辺が暇を持て余した場合、とても便利な暇つぶしツールがあります。
ギャンブルです。
あれはお金を突っ込むだけで暇を潰せます。
何なら一日潰せ、かつお金が増えて戻ってくるのです。

他にも暇を潰すためのゲーム、テレビ(映画)、旅行、その他諸々と本当に世の中には多くの暇を潰す手段と方法があります。

明るい無職はその結果、得たお金の大半は暇潰しに消えました。

あとに残ったものは、ギャンブル中毒と古いゲーム機の数々、旅行先で買った謎の高いキーホルダーとかそんなんです。

暇を潰したがる理由

何故明るい無職はこんなにも無駄な事をしてきたでしょう?
それは会社に、社会に依存する気満々だったからです。
会社は自分を養ってくれる、社会は自分を守ってくれる。
会社にいない、社会に役立っていない、そんな自分だけの時間=暇です、つまり暇は無駄そのものでした。
だから潰すしか無かったのです。

ですが今なら分かります、暇とは潰してはいけなかった、と。
暇を思いっきり楽しむことで依存先を増やすことに使うべきでした。
会社や社会だけに依存しないために、他への依存を増やし、依存を共存へと進化させる必要があったのです。


暇=共存先を育てる

ほとんどの人はサラリーマンをし、会社と社会に依存して生きています。
しかし前述した通り、この二本柱は依存性が高く、無知であるほどに依存心が高くなってしまいます。
その中で、人は家庭を持ったり趣味を持ったり、他への依存を増やし共存に育てていくのです。
明るい無職は残念ながらそれが出来なかった一人です。
でも、見る限り共存を育てられている人というのは少数に思えます。
明るい無職の親の世代でさえ、老後にそれが判明し、依存先が消えて困っているケースが多々見られるのですから。
居場所のない老人とは、会社と社会に依存した結果がもたらすものです。

明るい無職は、無職になり奇跡的に共存先を育てることを覚えました。
これは本当に偶然です。
家庭菜園が出来る環境だった偶然、地方都市で農家が周囲に多かった偶然、SNSにより多くの人と意見を交換することの出来た偶然です。

そして今は暇を活用し順調に共存先を育てている感覚があります。
なので、暇だから刺激的な遊びがしたいなぁ、とかは一切思わなくなりました。
暇になったら散歩して食料を買ってきてブログを書いて本を読めばええのですから。


最後に

途中、明るい無職のダメな暇潰し例としてギャンブルやゲーム、テレビ、旅行を上げましたが、これも共存する目的なら選択として良いものです。
明るい無職はこれらを暇潰しの道具として使ったのが間違いでした。
ギャンブルをネタにしたブログやYouTube動画もあります、ゲームはSNS同様に人とのコミニケーションも出来ますし何より楽しいです、テレビだって笑いや感動を促してくれます、旅行は言わすもがな出会いや経験を与えてくれますから。

前日の記事の納得力に通じますが
暇で出来た時間を納得する事柄に消費すること=共存先を増やす
ということなのだと思います。

さぁ、今日も無職は共存を育てるべくTwitterに入り浸りブログを書き映画を見て本も読んでおやつの時間も忘れずに昼寝もしました!
なんて素晴らしい日々でしょう!

しかしそろそろ農業大学計画も進行するのでしっかり農業の勉強もせねばなりませんね。

是非是非皆様も楽しい暇人生活をお送りしてください!
暇は良いですよ!
ではでは。