明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

無職はお金を愛したが故に自立することにした話

お金を愛するあまり、チケット詐欺に引っかかったことのある無職です。

あれは駅を歩いている時でした。
アンケートに答えると、映画の無料券が貰えると言うじゃないですか。
10枚綴りなのであげても売っても良いとオジサンは言います。
なので明るい無職は喜んでアンケートに応え、嘘っぱちの住所と電話番号を最後に記入しました。
すると、オジサンの態度が急変します。

おい、サインしたな?じゃあ5万払え、チケット代や!

えっ!?そんな馬鹿な!さっき無料だって言ったじゃないですか!

アホか?お前、今サインしたよな?規約にな、書いてあるんだわ。5万って。出るとこ出てもええんやで?

怖いです。オジサンがとにかく怖いです。
明るい無職は20歳くらいだったでしょうか。
チキン最盛期です。
あまりに怖く明るい無職は

ダッシュで鉄道警察に駆け込みました。

恥も外聞もありません。
必死に助けてと訴え、お巡りさんを連れて現場へ行くと、もうオジサンはいませんでした。

そんな悲しい過去を持つ無職だからこそ、言いたいのです。
金は愛しても、あいつの愛は貪欲だぞ?とね。


お金は大人の象徴だった

明るい無職は高校時代からずっと働き続けています。
最初はバイトです。
高校生で手にするバイト代数万は本当に大きなものでした。
欲しいものは何でも買えましたから。
その頃から、お金って凄い!と思い始めました。

そして、社会人になると今度は一人暮らしを堪能します。
先輩の誘いでパチンコも始め、気持ちはすっかり大人です。誇らしかったです。
誇らしい生活はそれはもう酷いものでした。
ご飯は出前を頼み、パチンコへ行き、夜遊びもしました。
その間に得た価値観は、お金の偉大さです。
お金は知らないことを何でもさせてくれました。
カッコイイ大人の世界は、お金の世界だったのです。


何事もお金が必要になる

ニートや無職の友人が多かった無職は、働いていることが自信になっていました。
では、その自信の裏付けは?と言うと、やはりお金を稼いでいることです。
レートの高いパチンコをし、外食をし、お酒を飲むことです。
そんな生活をしていましたが、やはり明るい無職は無職の才能に溢れる男なので、隠しきれない能力が滲み出てきます。
まるで無職になるために産まれたかのように、何度も無職を経験するようになっていきました。不思議ですね。運命としか言い様がありません。

しかし、そこで歯車が噛み合わなくなります。
当たり前なのですがお金が無いのです。
あれ?大人の象徴だった飲み会も、ギャンブルも出来ないぞ?
そして出来なくなって分かり始めてきました。

飲み会もギャンブルもいらないんじゃないか。
でも本当に少しずつです。
ちょっとずつ違和感を覚え始めたのですが、20代の時は完全に消費から離れることはありませんでした。

金の愛は貪欲だ

そんな金を愛したことのある明るい無職だからこそ言えるのが、金の価値は底なしだと言うことです。

お金というのはその辺から生えるものでも無いので、それなりの苦労を経て手にします。
その苦労は人それぞれで、苦労の量だけ金に価値を発生させてしまうのです。
働くのが辛い人ほど、お金に価値を見いだしてしまいます。
その反対にお金が余っている人は価値を見出さないのかと言われればそうでも無いのが怖いところです。
余っている人は、お金がお金を呼ぶことを知っています故。
決してお金を簡単に使おうとは思いません、良いことに使おうとも思いません。お金を増やすためにお金を使います。そのお金の価値は下手したら苦労してお金を手にした人の比じゃない価値になっているでしょう。

もうね、こうなるとお金は楊貴妃クレオパトラのようなものです。
その愛を得られるのはほんの一部の上位層ですし、下々の人間は絶世の美女らしいと話に聞くだけで、憧れや羨望ばかり大きくなります。

明るい無職時代の到来

三十路を過ぎ、Twitterを始めました。
すると、そこにはスローライフやミニマムライフ、ビーライフの概念を言語化して語り合う人々がいたのです。
そこで始めて明るい無職は今までの違和感を理屈として取り込むことが可能になりました。

それまでにも色々な本を読んできましたが、どれも極端であったり立場が違いすぎて、あまり受け止めることは出来なかったものです。

立場の近い人間が言語化し、それを認識出来た時、人は許容できるのだと知った気がします。
要は無職の周りにそういう人がいなかった、ということなのですが。

無職、ついに解放される

特に意識をしたわけではありませんが、無職の意識は変わっていきました。
お金を使うのがもったいない、というとではないです。
それにお金を使うのは自分にとってどれ程の満足感を得られるのか、を考えられるようになったのです。

身の程を知る、丁度よさを知る、器を知る、まぁ色々な言い方が出来ると思います。
無職的にはそうですね

絶世の美女がもしかしたら振り返ってくれるかも、とジャブジャブ貢いでいたお金を、身近な女性の幸せの為に使うようになった、ということです。(キリリッ)

まぁ彼女なんていな