明るい無職は農家になりたい

非農家無職33歳が農家を目指す。

明るい無職は回転主義(サイクリスト)を目指したい

物欲にまみれた怪物こと明るい無職です。
人は裏切るが物は裏切らない(迷言)。
今回は回転主義についての記事です。
そもそも回転主義(サイクリスト)なんて言葉があるか謎ですが(笑)

しかし、かの有名なアカル氏も言ってます。
回転するものは絶えずエネルギーを発し続けているのだ、と。


ミニマリストもいいけれど

ミニマリストは物を持たない主義のことです。
狭い部屋に布団とパソコン、スマホのみ。
突き詰めるとそんな感じでしょうか。
実際、都市部のサラリーマンの生き方としては進化系なのかな?と思います。
必要なものはシェアするという手もあります。

実は明るい無職もそんなミニマリストに憧れていた時期もありました。
断捨離とまでは行きませんが、無職になってから物はバンバカ売りさばいたり、あげたりしましたから。

確かにどんどん生きやすくなっていきましたよ!
物に対して惜しいとか勿体ないと考えていた思考のスペースが、マルっと無くなったのです。
この本はいつか読みたいなー、なんて悶々とすることもありません。
確かに素敵なんですよミニマリスト

しかし、残念なことに明るい無職のゴールではありませんでした。
無職でミニマリストなんてもうね、収入も無いわ物も無いわ、何?旅にでも出るの?樹海?なんて言われてしまいます。
明るい無職は決して旅人では無いのです。
俗物100%なのです!


たどり着いた回転主義(サイクリスト)

さて、先述のアカル氏の言葉ですが
回転するものは絶えずエネルギーを発し続けている。
これは物のサイクルにも当てはまる言葉ではないでしょうか。

例えば手元に時計があります。
そこそこ良い時計です。
使ってもいます。
ですがメインではありません。
そのまま持ち続けるということは、そこに留まること、回転を止めるということです。
貴方は無感情なまま、その時計をたまに使い続けます。
しかし、そこで誰かに売ったりあげたりしたとしましょう。
その誰かは間違いなくその時計を欲していたのですから、手に入ったら嬉しいです。
貴方が失ってしまった嬉しさを、その誰かは味わいます。
それって凄いことじゃないでしょうか?
つまり、その嬉しさの移動とでも言うものが回転に当たるのです。

農業にも当てはまる回転主義

そもそも農業自体が回転主義とも言えます。
農業にはとにかく回転が付き物です。
連作を避けるための輪作。
季節ごとに植え替える作物。
取れた作物を市場に流すのも回転と言えるでしょう。

楽しいですね回転!

日本の農業は残念ながら回転が滞っています。
回転の1番大きな問題、世代交代が出来ていないのです。
まぁそれも仕方ない部分があります。
農家が農地を自分のものとしたのは戦後の農地解放からです。
それまでは小作人でした。
実はそんなに世代交代の歴史が農家には無いのです。

そして今、また小作人のような制度になってきましたね。
明るい無職の知らない面も多くあると思いますが、少なくとも一般の目にはそう映る、という感じがします。


さいごに

アカル氏はこうも言っています。
回転だけに囚われるのはいけない。回転した先に何があるか想像することも大事なのだ。と。

一見回転しているように見えるけど、それは中間搾取が連続しているだけで、どんどん不幸を作っているのかもしれませんからね。

コンビニの経営計画を見て思う無職

ガストの開店ダッシュ日課の明るい無職です!


なんと330円で読売新聞が読めて、厚切りトーストとゆで卵が食べられ、ドリンクバーとスープバーがついてくる!!
朝の勉強にはもってこい、それがガストなのです!

 

そいで読売新聞を読んでたんですがね。
各社コンビニが経営計画を出したとかで。
そこに乗ってる言葉は
「縮小」「拡大」「削減」などなど。
息苦しいなぁ、なんて思う訳です。

 


「飽和状態からの奪い合い」

 

新規開拓、って言葉は夢があると思うんです。
無だった所に有が出来る。
そこで働く人、販路、買う人、多くの人に変化を与えます。

 

でも、奪い合いにはそれが無いんですよ。
元々ファミマだった所にセブンが、セブンが近くにある所にまたセブンが。
なんぼかは働く人も増えますし、販路にもなりますが、その行く末は潰し合い。

 

幸せになるのは経営計画を立ててる上くらいなもので、フランチャイズのオーナーやら買い物客やらバイト店員なんかはその煽りを食らうだけです。

結論は無いのですが、何だかなぁと思ったり。

 


「からの農業素敵トーク

 

そんな訳で世は経済戦国時代。
奪い奪われ搾取され。
雑兵はただ死にゆくのみです。

 

そこで奥さん、農業ですよ!
農業にも奪い合いの面はありますが、なんせ1次産業の強みがあります。
食を制すものとなれるのです。

 

本来、そんな1次産業だからこそ荒んだ世に疲れた人を受け入れる懐の深さがあるはずなんですが、現在それが失われているのが寂しい所。

 

それも少しずつですが補助金や、新規就農した人達の活動で緩和されてきています。
誰もが農業に興味を持てば、携われる時代が近いのです。


今はまだ怪しいですが。

 

都会で弱肉強食の争いに敗れ、疲れきった。
そんな人間が失業保険を受け取り再起するべく準備する場所として農家はピッタリだと思うのです。
なんせ飯と仕事はあるのですから。


金はないけど。

 

不特定多数を受け入れろとは言いません。
せめて、ネットで繋がって一定の信頼を置ける人間くらいなら、受け入れる懐の深さはあるはずなのです。

 

修行中の身として大層な事は言えませんが、経済戦争で負傷兵続出の世の中だからこそ、戦地から遠い田舎と呼ばれる場所には可能性があるんじゃないか、と思っております。

慈善とか偽善とかじゃなくて。


今の時代、そういう物も商売にする方法はあるのですから。
モノはやりよう、そう思うのです。

ただし引きこもりサポートとか言って強制労働は駄目絶対ですよ!
٩(//̀Д/́/)۶

農家さんの自宅用の野菜は無農薬、というのが本当か聞いてみた

農薬の知識が皆無なので勉強中の明るい無職です!

害虫の天敵の虫なんかも、農薬の一種として数えられるみたいですね!
オモロ!!

 

さてさて

「農家さんは自宅用の野菜は農薬を使わない」

なんて話は聞いたことがあるでしょうか?
先日そんな話になったので、学校の仲間に聞いてみました。
すると。

「半分は本当、でも農薬批判の意味なら完全に嘘」

との答えが返ってきました。
ほうほう、なんか面白そうですね。
ということで、もうちょっと深く聞いてみました。

 


「農薬使わなくていいなら使わない」

 

何故農薬を撒くのか。
市場に出荷する際に、綺麗な野菜を出さないと売れないからです。

 

有機農家さんの所に遊びに行った時、収穫を手伝いましたが結構虫に食われてるんです。
虫食いの大きい外葉を取って綺麗ならそれで出荷。もし内葉まで食べられていれば、それはまたの機会に収穫していました。
もし虫食いがあっても、有機のお客さんは、その辺は分かっているので多少の虫食いはOKな人も多いのです。

 

ではスーパーは、と言えば。
虫食いは許されませんね。
虫のついていない綺麗な野菜を、決まった時期に、決まった量以上出せて一人前の農家なのです。

だから慣行農家さんは農薬を使います。


今の農薬って凄いんですよ。
どの程度で分解され無害化されるとか、ちゃんとデータ化されて使用出来る農薬が決まってるんです。


故にデメリットも。
高いんです。
高いし、撒く時は毒性もあるのでマスクをつけたり大変なんです。
農薬を撒くコストは馬鹿になりません。
だから、慣行農家さんだって使わなくていい農薬は使いたくないのが本音なのです。

 


「自宅用というキーワード」

 

「農家さんは自宅用は無農薬」というのは、農薬に害があるように書かれることがほとんどです。
ですが、その本音とは
「自宅用なら虫食いあっても構わない。虫食いがあっても味は変わらない。農薬を撒いてコストを上げるのが馬鹿馬鹿しい」
ということなのでした。

 

半分本当、というのは、農薬を撒いた出荷用の野菜であっても、規格外で出荷出来なければ食べる。ということです。
(埋めて土に還元したりもします)

 


「農薬が怖ければ」

 

明るい無職もアトピー持ちの虚弱体質三十路マンなので、合わない食べ物を食べる怖さというのは分かります。
農薬は確かに無害化されてから出荷されますが、それでも過敏に反応してしまうことはありますからね。

なので、農薬が良くないと訴えたいなら、自分の選んだ農家さんから野菜を買うのが良いと思います。


有機じゃなくても、減農薬に取り組む農家さんは多くいます。
そういう方から直接買う、または販売所でその人の野菜を買うことで、どんどん有機や減農薬は広がります。

「農薬は身体に良くない!」
と訴えるより
有機や減農薬の方が売れる!見栄えが多少悪くても問題ない!」
と訴えた方が間違いありません。

 

それに、他国や他県から遠路はるばるやってくる野菜より、顔の分かる近くの農家さんの野菜を買った方が幸せになれるじゃないですか。

などと思う明るい無職でした。

農業における新規参入者が居抜きをする際のメリット・デメリット

 

立派な鉄骨ハウスの主にオラはなる!!
と夢見たのも束の間、1週間程でその夢は消え去っていきました。

オッスオラ明るい無職!

 

儚い夢でしたが、その夢は明るい無職に「居抜き農地」を使うことの難しさを教えてくれたのです。

 

今回は、居抜き農地を確保出来たら勝ち組になれるのか、というお話です。

 


「居抜きには新規参入者が喉から手が出る程欲しいものが詰まっている」 

 

農家の後継をこせがれ農家、完全新規の非農家を新規参入者と言うらしいですね。

こせがれ農家が持っていて、新規参入者が持っていないものとは

・農業機械
・農地
・設備
・その土地での栽培技術
・その土地での人脈
・販路

とまぁ農家をやるために必要なものほぼ全部と言っても過言ではありません。

新規参入者はその全てを自分で開拓せねばならないのです。
国からの助成金は、それを補うために存在するのです。


助成金はトータル7年、フルで受け取れば計1050万。
プラスアルファで無利子の貸し付けや自治体ごとの助成金があったりしますね。

物凄い大金です。

ですが、それを受け取ってもなお埋まらぬ差が新規参入者には存在するのです。

 

居抜きとは、後継者のいない農地をそのままマルっと借り受けることです。
つまり、こせがれ農家と同じスタートラインに立てる!!!
これは農家を目指すものにとっては夢です。

初年度から生計を立てられる可能性がそこにはあります。
助成金に頼らず農家になれる!!!

しかし、無料より高いものは無い、その言葉をしかと胸に刻んでおかねばならないのです。

 


「居抜き=価値のあるもの」

 

大粒のダイヤがあります。
それを赤の他人に無料で渡すでしょうか?
答えはNOですよね。
家族なら別ですが。

農家にとっての農地、農業設備とは、ダイヤです。
今も使っているなら、それはこれからもお金を生み出し続ける金の成る木なのです。

果たしてその金の成る木を作る場所、技術を他人に渡すものでしょうか。
やっぱり、渡しませんよね。

 

しかも相手は新規参入者、自分の持っている金の成る木を心から欲しいと願う人間なのは分かりきってる事です。
相手か欲しがっているものを自分が渡すのですから、そこには対価を求めます。
その対価は新規参入者が思っているよりも巨大で、底なし沼のようなものかもしれないのです。

 

それは当然の対価です。
長年農業をしている人程、設備を持っている人程、農業で苦労し、悩み、苦楽を共にしてきたはずです。

そんな場所を譲り渡すのです、その対価は物凄いでしょう。
家族以上に家族となり、師匠として礼節を尽くし、それでもなお足りないくらいの対価になる事は請け合いです。

その覚悟が明るい無職にあるかと言われれば、無かったと思います。

 


「居抜きを目指すなら、対価に変わるものを」

 

この人間にならここを任せられる。
大切にしてくれる。
その気持ちが育って、ようやく対価となるのです。

+アルファで、その場所を親族が継がない興味無いと見捨てて困ってる、なども必要ですね。

 

結果として明るい無職は居抜きの話は流れましたが、それで良かったと安心する面が大きくあります。

誰かから話が来たからと言って軽い気持ちで乗るような話では無かったと思います。

 

相手の方がとても話しやすい方で、すぐお互いの求めるものが伝え合えたのは助かりました。

 


「新規参入者の強み」

 

新規参入者は、こせがれ農家にない強みがあります。
それは自由なことです。

作りたい作物を選べ、住みたい場所で農業ができ、師事したい人の元で学ぶことができます。
時間をかけてじっくり動けば、どれも現実的に可能でしょう。

信頼関係の構築されていない人の農地を居抜こうとする、というのは、この全てを捨てる行為です。

しかもこせがれ農家と違い親族ではないですから、くっそ重い対価を要求されるでしょう。

 

そんな訳で、美味しい話かとワクテカした一件でしたが、破局した結果色々考える機会にもなり、自分の意思を再確認することが出来ました。

 


「これからの計画」 

 

まずは学校にしっかり通い知識を身につけ、仲間を作りたいと思います。

その合間にバイトをして農業資金を貯めます。
それでも時間はありますから、あとは農地探しと農家訪問です。

来年は何なら期間工をしてもいいかな、と思っています。
今年作った人脈で、休みの日は就農地候補の場所で農業をしながら。
1年頑張って、更に2年3年頑張ってもいいですね。


期間工ですから年100万以上のペースで貯蓄もできるでしょう。3年で300万〜500万。
さらに数年かけて就農地を探し、信頼を築いていれば盤石です。

38歳独身無職が4年かけて磨いた農業知識と技術を持ち、更に資金500万以上で農業に参入。これぞ盤石!無敵!独身!

独身(๑•́ω•̀๑)・・・

 

で、でも4年後ってもまだ38歳なんですね。ビックリ。

30越すと50くらいまでは、なんだそんな年齢か若いなぁと変な感覚になりますね。

そんな訳で、居抜きが出来るかも、という1週間の淡い夢は明るい無職に様々な思考をもたらしてくれました。
経験に勝る知識なし、ですね。

 

愚者は自分の経験から学び、賢者は他人の歴史を見て学ぶ。なんて聞きますが明るい無職は愚者なので無問題デス!

ふんわりBライフのススメ

俺に小屋暮らしなんて無理ぽ!
と早々に心折れたダメライファーの明るい無職です。

 

でも思うんだ。
Bライフに固定された観念は無いんだって。
ライファーはそもそも、Aライフという社会の成功例から弾かれた人間なのだから。


Bライフはこう、もっとふんわりした、そう、バカライフの略なんじゃないかな、ってね。

 

 

「Aライフが辛いなら、移行しようよBライフ」

 

Aライフは一般的な国が理想とする国民だと思ってください。
1社で務めあげ、結婚し子供を育て、家を買い老後の親の面倒を見て、自分もまた同じように老いて行く。

 

可能ならこれに勝る生活は無いかもしれませんが、明るい無職のように三十路で無職になったりするともう無理です。
Aがダメならその次のBだ!という思考です。

 

Aライフが望めないならどうするか、というのがBライフなので(ちゃんとした定義は無い)、どんな形でも良いと思います。


従来型の小屋暮らし、民泊経営しながらのスローライフ、明るい無職の目指す農業とワンセットのスーパー引きこもりランド。
どのライフスタイルでも言えるのは、既存の価値観には乗っからないということでしょう。

 

ハンモックに揺られ猫を撫でたり。
チェンソーで薪を作って薪ストーブを楽しんだり。
サラリーマンを続けながらも小屋を用意して心の平穏を求めてみたり。

 

大事なのは自分を肯定できる環境に身を置くことなんだと思います。
それをAライフで構築できないなら、自分で作ったろ!というのがBライフなんじゃないでしょうか。

 


「ふんわりBライフ」

 

Bライフを満喫する人々の繋がりはSNSの登場で濃くなってきています。
それがもっと進んで、お互いが得意な分野を持ち込んでもっと生きやすくする、そんな方法もそのうち出来るんじゃないかと内心ワクテカしてます。

 

例えばですが、小屋作りが得意な人を動画編集が出来る人が呼んで動画を撮ったり。
出来た小屋にBライフ希望の人が住んで、またそれを動画にしてみたり。
畑とか狩猟したいなー、なんてなったら明るい無職が出張ってみたり。

 

小さな繋がりでいいんです。
むしろ小さいからいいのかな?
大きい規模になると、統率しようとする人間が現れたり、宗教化したりまぁなんとも面倒な気がするので。

 

居てもいい、居なくてもいい、でも居てくれたらふんわり嬉しい。
そんな人間関係が形成するふんわりBライフを夢見る無職でした。

モノの価値から時代を読み解く

金がないから物を買わないんじゃない。
買う必要が無いから買わないのさ(`・ω・´)キリッ
で有名な明るい無職です。

 

毎日の習慣でTwitterをポチポチしていた無職。
そんな時、こんな一文が目に留まりました。

「高級な工具買ったよ!」

ほう、高級工具、いくらぐらいなんだろうなぁ、と見てみたら3000円ですよ奥さん。


物がなにかとかも色々ありますが、数千円で高級なもの、って結構あるんですよね。

じゃあ手が出ないくらい高級なもの、って何だろうって考えてみたんです。

 


「手が出ないものは生活の質に関係ないものが多い」

 

高級といえば車。
車の機能は、人の体力を使うことなく遠くへ移動出来ることにあると思います。
そこに物が乗せられる、複数人同時に移動出来る、というプラスアルファが入って「車」という物になります。

 

さて、明るい無職はやっすい軽自動車を所持しています。
分かりやすく100万円くらいと思ってください。(本当はもっと安いです)
明るい無職の車を所有する目的は、家族の用事で使えること、がメインとなります。
なのでやっすい軽自動車で事足ります。

 

一方、高級車と言えばベンツでしょうか。
調べてみたら3000万円くらいでした。
明るい無職の軽自動車が30台買えます。

果たしてベンツは軽自動車30台分の価値があるのか、と言われると、機能的にはそんな価値はありません。

 

軽自動車の×30の機能と言うと


4人乗り▶×30で120人乗りに
燃費30キロオーバー▶900キロオーバーに


どんな車だよ化け物かよ。

 

見ての通り、30倍の値段とて30倍の機能では無いのです。
事故した時に5倍くらいは死ににくいかもしれませんが。
あと速度も2倍くらいは出ますかね。

 

他にも高級な服、高級な時計、高級な靴と、まぁ色々ありますが、機能性においては数万円の所を頂点として、それ以上はブランドや希少価値となります。

 


「現実的な機能面での価値が低い時代が来た!」

 

以上の事から、現代は現実的な機能面での価値というのは低く、ブランドや希少性で価値を見出す。ということが分かります。

文字にしてみると変な時代ですね。

 

大多数の一般人に過不足ない機能のものが手に入りやすくなっている、という事なのでしょうけど。
そういう意味では世界グッジョブです。


こんな社会不適合者の明るい無職ですら、車が持て3食美味しいご飯が食べられスマホなんてオーバーテクノロジーを扱えるのですから。

つまり、世の中の価値に惑わされなければ、いくらでも便利なものが扱える時代が今なのです。

 

何それ凄い!

 


「さいごに」

 

模範的な社会人になれなかった人間が不満を抱えながら生きている、というのはとても辛いものです。
現に明るい無職は底辺生活を送りながら精神は捻れまくってましたし、今も結構捻れてます。
この捻れが限界まで行くと、身を引きちぎりボロ雑巾のようになる訳です。

そうなるまえに、自分を捻っている価値観が果たして身を委ねていて良い価値観なのかを再認識しよう!という感じでしょうか。

 

この捻れは螺旋の力や!俺は布じゃない、ドリルだ!
というような男らしいものなら突き進んで穴を穿つべきだと思いますけど!

 

世間的評価の低いものが最高の娯楽になる

「この映画を見るなら、水道を出しっぱなしにして水の流れを見ていた方が有意義」

と言われた映画を朝から1時間見ていた明るい無職です。

 

 GyaOの無料公開映画なのですが、タイトルは

「ゾンビ村」

早速やべぇ匂いがぷんぷんするぜ!!

 

ゾンビ村 終わりなき逃亡 | 映画 | 無料動画GYAO!

 

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